農の風景の残る町
宮代町を、そして新しい村を訪れた皆さんは、周りの風景を眺めて「田んぼばかりだな~」と思ったことはありませんか?
都会の人から見たらいわゆる「田舎」と言ってよい宮代町ですが、山や海のような自然はありません。宮代町にとっての自然環境は、水田や畑、農業用水路、農家の屋敷林など、人の手によって作り出されたものが「自然」であり、町の面積の半分を占めています。
こうした「自然」は農家によって維持管理されてきましたが、かつては5割近かった農家世帯も今では1割以下にまで減ってしまいまいした。
- 農地は生態系、景観、災害、地産地消、教育、福祉など多くのものにつながって行く。
- 「農地」は農家だけのものではなく、全ての町民に恩恵をもたらしている。
そんな考えを持ちながらも「宮代の自然」が減少していくことを見逃してきてしまいましたが、平成6年に宮代町の職員プロジェクトによる試行錯誤からスタートし、平成9年度には「農のあるまちづくり計画」を策定し、町民の代表としての商店主、主婦、農家、そして役場職員がパネラーとなってシンポジウムをおこなうまでに発展しました。
これにより議論され計画の一部となったのが、「新しい村整備計画」です。
新しい村整備計画
20世紀の高度経済成長の影で失われてしまった地域コミュニティ(結の心・地域の教育・自立と助け合いの福祉など)を、農の力を借りて再生する拠点として、また、歴史に学ぶ保全、維持、創造のあり方の実践の場として、あるいは農業生産、特産品の開発拠点など、複合的な要素を含んだ新しい発想に基づく小さなコミュニティエリア、すなわち「村」を創造する計画です。
この計画に基づき、「新しい村」が整備されました。
今ある原風景を維持しながら、失われてしまったものは再生し、維持すべきものは保存し、必要なものは新たに創るといった考えで全体の整備をおこなっています。
名称を「新しい村」としたのは、以前から宮代に住んでいた人も、ベッドタウン化した後に移り住んだ人も、農家も商業者も消費者も、「農」という地域資源を媒介として、「新しいコミュニティ」を創造し、そしてそれを町全体に広げていく、そんなエリアにしたいと考えたからです。
まさに「懐かしくて、新しい場所」、それが「新しい村」なのです。
宮代マーケット計画
「農」のあるまちづくりには、「新しい村整備計画」のほか、もう1つ大きな柱となる計画があります。それが「宮代マーケット計画」です。
地域内自給を高め、自立性のあるまちを目指すとともに、生業を通して農のある景観を守っていこうというもので、そのためのシステム作りと販売拠点の整備を行うものです。
その一環として、平成12年度に町のほぼ中央にアンテナショップ結を設置(現在は閉鎖)し、そして「新しい村」内に本格的な直売施設「森の市場結(ゆい)」がオープンしました。
宮代町には、お米、巨峰、梨、野菜など、豊富な農産物があります。新しい村では、そんな自慢の農産物の販売の場として、またイベントなどを通じて町外の方へも広めていく役割を担っています。
ほっつけ田(堀上田)の再生
ほっつけ田(堀上田)の再生は、「農」のあるまちづくりの象徴ともいえます。
かつての宮代町には多くの「ほっつけ田」がありました。水のたまりやすい低い土地で水田を営むために、掘りあげた土の上で稲作を行います。掘り下げられた地面は水路となり、排水に用いられましたが、そこは淡水魚や小生物の宝庫でした。田の形は不恰好でしたが、人間が自然に手を入れ、共生していることによる美しさがありました。
しかし、この「ほっつけ田」も高度経済成長以降はすっかり姿を消してしまいました。「ほっつけ田」を再生させようという機運は町民からおこりました。そして、草が生えるままになっていた「ほっつけ田」が「新しい村」内に再生されました。
世代や性別、職業を超えた多くの町民が一緒になって「ほっつけ田」で稲刈りをする光景からは、「郷土、宮代を愛する」姿が見えてきます。「農」のあるまちづくりという理念がコミュニティを一つにした。そう思わせる光景です。
この宮代町の「農」のあるまちづくりについては、宮代町公式ホームページでもご覧いただけます。